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山崎巌 (脚本家) : ミニ英和和英辞書
山崎巌 (脚本家)[やまざき がん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [あし]
 【名詞】 1. leg 
脚本 : [きゃくほん]
 【名詞】 1. script 2. screenplay 3. scenario 
脚本家 : [きゃくほんか]
 【名詞】 1. scriptwriter 2. playwright 3. scenario writer
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
本家 : [ほんけ]
 【名詞】 1. head house (family) 2. birthplace 3. originator 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

山崎巌 (脚本家) : ウィキペディア日本語版
山崎巌 (脚本家)[やまざき がん]

山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日〔『日本映画の模索 - 講座日本映画 6』、編著今村昌平新藤兼人山田洋次佐藤忠男鶴見俊輔岩波書店、1987年 ISBN 4000102567, p.193.〕 - 1997年3月8日)は、日本の脚本家小説家である。
== 人物・来歴 ==
1929年(昭和4年)11月4日神奈川県横浜市に生まれる〔。
第二次世界大戦終了後、明治大学専門部文科を卒業し、化粧品をセールスしたり、通訳を務めたり、 1950年(昭和25年)6月に勃発した朝鮮戦争で設立された特需会社、あるいは相互金融会社に勤務した〔。
1955年(昭和30年)、同年下村明が発表した小説『黒帯三国志』〔黒帯三国志 国立国会図書館、2010年1月22日閲覧。〕の映画化に参加、松浦健郎谷口千吉とともに脚色した。同作は、谷口が監督、東宝が製作して、翌1956年(昭和31年)1月29日に公開され、映画脚本家としてデビューした〔黒帯三国志 日本映画データベース、2010年1月22日閲覧。〕。デビュー第2作は、同年、ひきつづき松浦とともに宮本幹也の小説『大学の石松』を脚色、伊賀山正徳が監督し、東映東京撮影所が製作、東映が配給して同年5月18日に公開された〔大学の石松 、日本映画データベース、2010年1月22日閲覧。〕。
オリジナルシナリオ『浮草の宿』が日活に採用され、鈴木清太郎(現在の鈴木清順)が監督し、1957年(昭和32年)1月9日に公開される〔浮草の宿 、日本映画データベース、2010年1月22日閲覧。〕。同年、日活と脚本家として専属契約を結んだ。以降、1970年(昭和45年)、日活を退社、フリーランスとなるまでに、100本を超える脚本を執筆した〔山崎巌、日本映画データベース、2010年1月22日閲覧。〕。
1991年(平成3年)、新潮社から時代小説『五稜郭へ六万両』を書き下ろしで上梓、小説家としてデビューする。1993年(平成5年)には自伝的小説『夢のぬかるみ』を同社から上梓する。
1997年(平成9年)3月8日、横浜市中区横浜掖済会病院尿管癌のため死去した。満67歳没。妻は小説家の山崎洋子山崎洋子 直木賞のすべて、2010年1月22日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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